2020年12月22日火曜日

小松政夫さん、長い間お疲れさまでした

  コメディアンの小松政夫さんが、去る7日に亡くなられたという。私もそうだが、ほとんどの人がびっくりしたのではないか。享年78歳、私より3歳年長である。

 ウェブも含め、メディアの反応の大きさは、小松さんの隠然たる存在感の大きさを示すものだろう。私ども福岡市博物館にとっても、小松政夫さんは大事な方であった。
 当館は平成25(2013)年に常設展示をリニューアルした。国宝 金印「漢委奴国王」にはじまり、博多祇園山笠で終わる現在の展示構成はその時からである。実物大の山笠展示を見て展示室を出るところで、小松さんの映像がお客様を見送る仕掛けになっている。山笠の正装である長法被姿で、軽妙に持ちネタを挟みながら、最後に手一本の締め方で終わる、当館のお客様にはおなじみのあれである。

常設展示室の最後のコーナー 観覧者が等身大モニターの前に立つと
小松政夫さんが登場し、博多手一本を実演。


 リニューアル・オープンをひかえ、その収録を全て終えた小松さんに、一席付き合っていただいた。といったって私たちがお招きするのだ、高級料亭やクラブであるはずがない。感じの良いお店だったけれど今はもうない、西新の小料理屋である。
 今思い出すと夢のような気分になるが、酒がすすむほどに小松さんがおなじみのネタを繰り出してきたのだ。それも、さあ今からやるよ、ではなく、私たちと酒の上の馬鹿話が続く中で、とても自然な流れで、淀川長治さんから、よーやる、よーやる、よーやるゼリー、はてはテレビでは見たことのない小ネタまで、本当に可笑しかった。小松さんの慰労会のはずが、とんだ私たちの役得になってしまったわけだ。
 そのお店を出た後も、夜遅くまで、若手学芸員を相手に(あまり若くないのも居たが)、居酒屋の二次会に付き合っていただいた。

 その時の経験から思うのは、小松さんの芸は、演ずる空間の大きさを問わないということだ。テレビであろうが劇場であろうが、居酒屋のカウンターであろうが、同じネタが通用するのである。小松さんは、そんな不思議な存在感を持つエンターテナーだったと思う。

 少し真面目な話をすれば、小松さんはテレビが生んだコメディアンであり、テレビの時代を体現した人だった。
 そんな人は幾らもいると言われるかもしれないが、しかしテレビがメディアの王者ではなくなってからも、それ故に小松さんの露出も少しずつ減っていく中でも、小松さんはテレビの時代を体現しているという存在感を全身で示し続けていた。その意味で、小松さんは昭和のコメディアンである。戦後の昭和という時代があり、テレビの時代というものがあったのだということを体現していたのが小松さんである。
(言わせてもらうが、オレは「シャボン玉ホリデー」から見てるんだぜ!)

 そしてもう一つ付け加えれば、小松さんはそんな時代を言葉で語る証言者だった。小松さんが芸能界に入る以前のライフヒストリーから、植木等の付き人募集に応募してからの芸能生活のさまざまなエピソードは、何冊かの本になって読むことが出来る。
 小松さんの文章は、情緒的なのに歯切れがいい、不思議な名文である。私は『月刊はかた』に連載されていた巻頭エッセイを毎号愛読していた。これは平成20年から続いているそうだ。
 この文章を書くために、古い単行本を読んでみた。最初の単行本は『目立たず隠れずそおーっとやって20年』(婦人生活社、昭和60年)というのだが、この本、植木等さんの序文(「まえがきにかえて」)付きである。
 この本に見られる初期の文章のスタイルは、毎回涙腺を刺激するような近年のそれとはだいぶ違う。文体も「です、ます」ではない。例えば中学の後輩の長谷川法世さんにふれたあたりなど、「法世は博多弁の伝え方はさすがにうまいが“仁輪加”の血は俺の方が強いという気がしてしまう。」といった具合だ。

 初期の文章を読んで気がつくのは、近年の軽妙な博多弁で人の心に直接触れてくるようなスタイルは、長い間書き続けている間に創りあげた小松さんの文体だということだ。それもまた小松さんらしいと思う。
 『月刊はかた』の連載のタイトルは、「ながーい目でみてくれんね」。小松さんにふさわしい、本当に良いタイトルだと思う。しかし、小松さんにふさわしいタイトルだということは、小松さんが実際にながーいあいだ働き通したということだ。
 本当にご苦労さまでした。




2020年5月9日土曜日

長引く在宅の機会に、お片付け哲学について考える


 コロナ禍とそれへの対応の現状にはさまざまな評価があり得ます。しかし、医療従事者、行政、学校や企業などの現場、そして各家庭での市民の努力で、状況が少しずつ改善しつつあるのは事実です。もう一息、気を緩めずに頑張りましょう。

 ところで、コロナ対策のstay home を機に、思いきって不要なものを処分する断捨離に取り組む方も少なくないとか。それを通して日ごろの生活を見つめ直すことにもなるし、いい機会かもしれませんね。
 でも、人それぞれに思い出がつまった物を捨てるのは、決して簡単なことじゃありません。そんなあなたの背中を強く押してくれるのが、今や世界中で人気絶頂のこんまりこと近藤麻理恵さん。「片づけコンサルタント」というお仕事があるんですね。ウィキペディアを見てはじめて知りました。 

 こんまりさんのやり方はこんな具合です(アメリカのテレビ番組を見たことがないので聞きかじりです)。
 あなたは今その服にときめきますか?
 買ったときは明日着ていくのが楽しみだった服も、今はときめかない。すると容赦なく廃棄物の山へ。それがこんまり流ときめきメソッドだとか。 

 私はこのメソッド、というかその背景にある考え方にとても興味があります。過去の栄光でもなければ未来の希望でもなく、現在こそが、今ときめくことこそが大事。
 過ぎてしまった過去の栄光は記憶の中にしかありません。未来は不確かで不透明です。どちらもこの手に握りしめることは出来ない。確かなのは今この瞬間だけ。
 この考え方が説得力を持ち、広い支持を集めているのは、今の時代を考える上でとても重要なことだと思います。過去の栄光? そんないい思いをしたことはないよ。明日は今日より少しだけ生活が向上し、来年はもう少し良くなり、10年後には全く違う世界が待っているだって? 高度成長の時代じゃあるまいし。 

 こんまり流ときめきメソッドは、確実に現在という時間をつかまえています。とてもよくわかる気がします。こんまりさんは、とても鋭い時代意識の持ち主だと思いますよ。 

 ただ、それを認めた上で、私にはどうしても違和感が残るのです。過去に執着しすぎると前に進めない。それはおっしゃる通り。以前のブログで書いたように、福岡という街が発展してきたのは、過去に執着しすぎないという「美質」があったからです。
 しかしあまり過去に無関心でいると、必ずしっぺ返しが来ます。もう一度、似たような事態が生じたとき、経験から何も学んでいなかったことに気付いて愕然とするのです。
 コロナ禍という、ひょっとしたら百年に一度かもしれない歴史的経験をしている私たちは、そのことをよく考えておく必要があります。もはやパンデミックと完全に縁が切れた世の中に戻ることはないと考える専門家も多くいらっしゃいます。 

 私たちは3.11を、熊本震災をどのくらいきちんと覚えているでしょうか。私も人のことは言えませんが、その経験は現在に生かされているでしょうか。
 過去をないがしろにしない。それは、やがて過去になる現在を大切にすることです。こんまりさんの考え方と衝突はしないと思いますが、どうでしょう。

2020年4月18日土曜日

百道浜から

 新型コロナウィルスの感染が拡大し、非常事態宣言の対象が全ての都道府県に広げられました。私たち全員に、感染の拡大を防ぐためのあらゆる努力が求められています。福岡市博物館も臨時休館となり、在宅勤務の導入、出勤シフトの調整を行って職員どうしの接触を可能な限り減らしています。そのいっぽうで、「おうちDE福岡市博物館」と銘打ち、在宅でも楽しめるコンテンツの拡充をはかりつつあります。

 同時に、福岡市博物館がある百道浜地区・地行浜地区は、消防署や医療関係施設が数多く立地しています。私たち博物館スタッフは、自らも感染の危険にさらされる中で救急・医療関係の業務に携わる方々へ感謝するとともに、心からの敬意を捧げます。そのためのささやかな意志表示として、4月10日から、毎週金曜日の正午、#Friday Ovationに参加しています。


 百道浜にある博物館として、もう一つ心掛けたいことがあります。ご承知のように百道浜は1989年にアジア太平洋博覧会 福岡’89よかトピアが開催された場所であり、博物館の建物は博覧会のテーマパビリオンとしてお目見えしました。よかトピアは、福岡市にとってさまざまな意味で節目となったイベントですが、その一つに情報産業の発達があります。第三次産業の活発で層の厚い展開こそが、今日の福岡市の発展の原動力であるとすれば、情報産業がその中核を担うものであることは言うまでもありません。

 二つの民放局やIT関連企業、福岡の電波を集約する福岡タワーなどがある百道浜は、今日の情報産業の一大拠点です。それだけでなく、今日あたりまえのように存在する企画・広報・イベント関連のさまざまな業態は、それまで福岡市にほとんど無かったものが、よかトピアをきっかけに一挙に花開いたものです。歴史と現状を踏まえれば、百道浜は福岡市発展の原動力となった情報産業にとって、象徴的な場であると言えるでしょう。

 情報産業はすそ野が広く、企画やデザイン、印刷などの最前線は、数多くの小規模事業者やフリーランスの皆さまによって支えられています。そして、私たち博物館が日ごろ密接にお付き合いし、お世話になっているのは、そのような小規模事業者、フリーランスの方々、いまとても大変な立場で苦闘しておられる皆さまです。
 福岡市博物館は百道浜という、福岡市の情報関連産業のスタートアップの場に立地する博物館
として、皆さまと共にあり続ける意志を表明いたします。

 そうは言っても具体的に支える力が無いことを、本当に口惜しく思います。しかしほんの僅かでも出来ることがあれば、微力を傾けたいと思っています。何かできることはないか、ご一緒に知恵を絞っていきましょう。皆さまがコロナとの戦いを何とか乗り切っていただくよう、福岡市博物館は心から念じています。