2015年10月30日金曜日

「上書き都市」の起点は奴国 ~「新・奴国展」が切り開く新地平~


 1017日に、開館25周年を記念する本年度の自主企画展、「新・奴国展――ふくおか創世記――」がオープンしました(1213日まで)。ぜひご覧いただきたいと思います。
 それにちなんで、「上書き都市」論の続編です。今回はちょっとゆるいです(前回は厳密だったのかい! なんて突っ込みは止めましょうね)。

金色に輝く 新・奴国展 図録

上書きを一枚ずつめくっていくと


 「上書き都市」福岡の上書きはいつから始まるのでしょうか? 逆に言うと、現代に至るまで積み重なった上書きを、下へ下へと一枚ずつめくっていくと、最後にたどり着くのは?
 それは奴国です。
 というわけで、開館25周年記念の特別展は、上書き都市の原点たる奴国なのです。

 もちろん奴国以前にも人の営みはありました。しかし、何らかの政治的、祭祀的な権威を中心とする比較的広域的な共同体として、考古学的にも確認できる最古の存在は奴国でしょう。同様な存在として、伊都国が西に接していたのはいうまでもありません。

奴国の首都? 須玖岡本遺跡


 上書き都市の起点を論ずるからには、ここで最近30年くらいの発掘の成果強調に走りたいところですが、奴国の首都と目される須玖岡本遺跡に見られるように、調査の歴史は意外に古いのです。
 須玖岡本遺跡の発見は1899(明治32)年、住宅建築に伴う偶然の発見でした(ちなみに、伊都国王墓として知られる三雲南小路遺跡の発見は江戸時代の文政年間です)。

 このとき発見された銅鏡は、すでに小片に破壊されており、その後に調査した考古学者によって持ちだされ(当時はルールが確立していなかった?)、大学の研究室をはじめ、各地に散らばってしまいました。今回の展覧会の見所の一つは、それらの鏡片を可能な限り集めて復元展示を試みたことです。
 全員集合というわけにはいきませんでしたが、現在望みうる最良の復元になっていると思います。ぜひご覧いただきたいと思います。ご覧になって、何だこれだけかとお思いになりますか? それとも、なぜこれが同じ鏡の破片だって言えるんだろう、と不思議に思われるでしょうか?

 須玖岡本遺跡は、その後1979年から福岡市教育委員会や春日市によって発掘調査が行われ、1986年に国の史跡に指定されました。奴国の中心がここにあったことは、間違いないでしょう。

奴国の遷都? 比恵・那珂遺跡


 それはそれとして、上書き論者としては、原点である奴国という存在の認識をめぐって、上書きの上書きたるゆえんがほしいところです。思考方法として本末転倒? まあ、いいじゃないですか。

 須玖岡本遺跡から北へ約5㎞にあるのが比恵・那珂遺跡。JR竹下駅の東に、南北約2㎞、東西約700mにわたりますが、行ってみても遺跡らしい姿はごくごくわずかしか残っていません。それもそのはずで、この一体はオフィスビルやマンションが建ち並ぶビル街。なので、ビルの建て替えなどで一つ一つは規模の大きくない発掘調査を重ねた結果、次第にその全貌が明らかになってきた遺跡なのです。
 ほら、上書き都市らしくなってきたでしょう。

 須玖遺跡群と比恵・那珂遺跡群は、奴国の二大中心地です。須玖遺跡群は、古代のテクノポリスとよばれるように、青銅器をはじめとする生産活動の中心地、比恵・那珂遺跡群は、博多湾に近く、交易など対外活動を担っていたと考えられています。
 そして3世紀後半から、青銅器の価値が下がりはじめると、奴国の中心地は比恵・那珂に一本化されていきます。奴国の遷都か?

 そうすると、「最古の王墓」とも言われる早良平野西部の吉武高木遺跡は、奴国とどういう関係になるのでしょうか。考古担当学芸員は、私の素人っぽい質問に即答してくれました。吉武高木は奴国の一部と考えてよろしい。ただ、西は伊都国と接しているので、奴国の中でもやや特種な位置を占めるんだそうです。
 う~む、なるほど(分かったのかい!)。小国とはいえ、外部と接する周縁部には、やはり独得の意味があるんですね。


ナコピン・ナコポン、奴国八景、そして図録だ!



 今回もまた長くなってしまいました。頭が痛くなりそうとおっしゃる貴方に、こっそりお教えしましょう。「新・奴国展」の早回り、早わかりコースです。
 展示会場に、写真のようなキャラクターのパネルが配置されています。このナコピン・ナコポンの解説パネルだけを見ていけば、勘どころは一通り分かるそうです。子供の前でいい格好をしたいお父さんにオススメです。

 より本格的に一席ぶちたい方には、何たって図録でしょう。素人ながら断言させていただきます。奴国にまつわる現段階の学術的論点やトピックで、この図録に載っていないものはありません。
 厚さの割に値段が高いって? 図録はグラムいくらで売るもんじゃありません。奴国のすべてがここにあるんです。

 そしてもう一つのウリは、展示の第二章「奴国八景」(苦心のネーミング、みんな気がついてよ!)。図録の構成も同じです。
 瑞穂城市、那珂直道、比恵清水、月隈墓情(誤植じゃないよ!)、板付秋穂、須玖青炎、安徳奉矛、博多帰帆、これぞ八景!(意味わからんところもあるけど)。
                               

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